2020年

8月

04日

「図案」から「デザイン」そして「デザイン思考」へ

親子三代でデザインに関わってきたので、ふと親父は何故その道へ進んだのかなと思い始め、日本でのデザイン教育の歴史を調べ始めました。親父が学んだ昭和初期の時代、私が学んだオイルショック前に時代、息子が学んだ平成の時代と。それぞれの時代がデザインの捉え方への変化とリンクしている事も良くわかりました。日本でも明治時代の新聞記事の中でも既に「デザイン」の言葉が使われていたり親父が在学している頃の在校生の作品内にも英語としての「DESIGN」は使われていますがやはり世の中の流れとしては戦後以降「デザイン」の言葉が使われ始めています。その中でも印象的だったのが昭和26年(1951年)松下幸之助がアメリカ視察から帰国した際に「これからはデザインだ」と言ったとか。因みに大学の学科名称として一番早く使ったのは昭和29年の武蔵野美術大学で商業美術科からデザイン科への改称でした。京都芸術大学は昭和38年に図案科をデザイン専攻に、金沢美術工芸大学は4年生大学になった昭和40年に商業美術を商業デザイン専攻に改称。東京芸大は昭和50年に工芸科内にデザイン科を設置していました。

2019年

1月

08日

喜んでいただける限り続けたいね

昔、行きつけだった寿司屋の親父も理髪店の親父も従業員をたくさん抱えた大きな店構えでやっていたのを歳を重ねるとこじんまりと個人だけで対応する規模のお店に変えていました。デザイナーも同じかと思う歳に。お客様の反応ややり取りを直に楽しめるのが続けていける原動力になっているのを実感出来ます。価格もそれなりにお手頃に変えることも可能になるし。

2018年

3月

12日

聴く力

デザインのアドバイスをする中でアドバイスの仕方はもちろん大事ですが聴く力の大切さを実感。

1、相手ごとではなく自分ごととして共に考える

2、アドバイスをする際は具体的に例を示しながらする

3、何が課題かを発見し、その効果が一番見える解決方法に絞る

4、成果の確認をする

ただ、成果が出るか出ないかは「聴く力」によって答えに大きく差が出ます。

2017年

9月

20日

地域を「すき」から地域を「すてき」に

地域の仕掛け人として活躍されている方の言葉。自分の地域を「すき」から「すてき」に進化させるには「て(手)」を加えること。自らの手を使い先ずは出来ることを素早く行動に変えることが大切とのこと。

2017年

9月

16日

地域創生に「フケ者」も必要とか

地域創生には「よそ者」「若者」「ばか者」が必要と言われていますがそれに加え「フケ者」も大切と唱えてくれる学者も。フケ者の経験値、調整能力が役立つとのこと。まだまだ老け込まずに頑張らねばと勇気をもらいました!

2017年

4月

04日

支援要請が一日も早く無くなるのがベスト!

東北の震災支援に関わり間も無く3年目に。毎回新たなプロジェクトを通じてデザインで元気を感じていただけるのでとてもやりがいを感じています。ただ、あくまでも支援なので支援の要請を必要とせずに動ける時が早く来るのが一番ですね。福島は難しい問題もあるので時間は他の県と比べると長くはかかりそうですが。

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2016年

3月

25日

支援のやりがいが

東北支援の中で昨秋に立ち上げた「米卵」ブランドをさらに強化する為に米卵を使用したお菓子との取り組みを始めるとのことで再度支援の要請を受けました。

以前取引されていた養鶏農家が立ち入り禁止区域となり同じ福島県下で安全なエリアの養鶏農家と取引を開拓しそのブランド化への支援がきっかけでした。「米卵」「花卵」の2ブランドを立ち上げましたがおかげさまで売り上げも好調とのことで復興へ向けて新たな開発意欲へと繋がった様です。お菓子はまだ試作段階ですがオーナーが自らもお菓子を手作りされるだけのこともありかなりこだわった美味しいお菓子が生まれそうです。パッケージのデザインにて二度目の支援をすることに。

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2016年

3月

04日

忘れさられない為にも前向きな発信の支援を継続します

被災地を支援で回ると移転など進んでいる所とまだまだ手つかずの所が入り混じり阪神大震災と比べても時間はかなりかかりそうな気がしています。支援の要請が続く限りライフワークとして続けていくことに。

ただ、支援の要請を出せる前を向いて進んでいる方とお会いするとこちらが元気を頂く位にエネルギッシュな方が多いのですが本当は何を支援して欲しいのかも見えない、埋もれた方への支援が大切かと痛感させられます。忘れさられない為にも前向きな発信のお手伝いを6年目へ向けて誓います!

2014年

10月

10日

復興支援で元気を頂く!

気仙沼と陸前高田で仮設店舗で営業をされているお店の方々をアドバイザーとして訪問してきました。仮設店舗を出た後の事を考えて店舗販売以外での新たな商品開発を模索されていました。店舗兼住宅を流されても前向きに次へ向かう姿にはこちらの方が元気を頂く事に。ただ、津波当日に家族で逃げた話はわずかの判断の差で命を左右したことを少し涙ぐみながら話される姿は神戸の震災を経験した我々とはまた違う恐怖体験をされた事を実感。少しでも前へ向かわれる為の支援頑張らねば!

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2014年

1月

07日

「地産訪消」

正月に息子から借りた「アル・ケッチャーノ式経営術」の中でオーナーの奥田氏が語っていました。地産地消→地産他消→地産訪消への進化が料理人・生産者とが共に高まっていける理想系と。

昨年は神戸市の農水産物の「つくり手」「つかい手」「つなぎ手」「つたえ手」の方々を多く取材する機会に恵まれました。今年はそれを繋いで少しでも形にすることを進めたいと思う中で実践される方からの強いメッセージとして響きました。国内でまだ行ったことがない数少ない県の一つである「山形県」今年はぜひアル・ケッチャーノを予約して訪問の計画を!!

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2013年

9月

11日

北欧デザインは「FOOD」抜きでは語れない

今回の旅はスエーデンとフィンランドへ。事前にネットから今話題のレストランをストックフォルムとヘルシンキそれぞれ手が出そうなお店を予約して旅立った。

 

ストックフォルムではOAXEN www.oaxen.com

 

ヘルシンキではSPIS www.spis.fi

 

どちらも味も素晴らしく街中で見かけるたぐいのフードとは段違いですが使われている器、家具、インテリアそしてサービスどれも素晴らしく北欧の料理は不味いと言うイメージは吹き飛びました。かなりの部分和食の影響も受けているのかなと思える部分も有りますが完全にオリジナルとして消化されていました。街でも「SUSHI」は流行なのか百貨店のフードコーナーやイートインでも多く展開されてますが、こちらはお金を払って迄食べるのは・・・・でした。

 

 

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2013年

6月

11日

「便利」か「安い」か「これしかない」か

ある会合の懇親会の席で上場企業の社長様が雑談の中で話された言葉。

自らの企業が生き残るために新商品の開発では社員に「これしかない」を

目指すように言われてるとのこと。

「便利」「安い」は価格競争に飲み込まれてしまうからだと。長く経営のトップを

走り続けておられる方の話だけに話に重みがありました。

これはメーカーだけでなく専門サービス業にも当てはまりますねと同席した

会計士、不動産鑑定士、そして私デザイナーも同感した次第です。

弁護士や会計士の資格試験に無事パスしても「これしかない」の専門領域

が無いと、残りの二つの「便利」か「安い」の中で競争するハメに。

 

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2013年

4月

13日

そうだデザイナーになろう

先日、デザイン指導に訪問している会社の勉強会「デザインセッション」にてデザインとの関わりをテーマに話をする機会がありました。自らの原点とも言えるデザインを意識したのは何時の頃かを振り返る良い機会となりました。

絵画とデザインは違うんだと子供心に意識したのは小学4年生頃に父親に連れられて大阪の確か松坂屋百貨店にて開催されていた「日本宣伝美術会」が年に1度開催していた「日宣美展」でのポスターを見てからだと思います。展覧会には父親の同級生の金野弘さんが会員並びに審査員として国鉄や関西汽船のポスターを出品されていました。その色使いや構図は学校で習っている絵画とは全く違う新鮮な驚きが有りました。大学も迷う事無く美術大学に進んだのですが当時は学生運動真っ盛りの頃でこの団体も大学2年の時に権利主義的すぎるとの理由で学生達の攻撃に合い解散する形となりました。大学卒業後は縁も頂き金野弘さんがデザイン顧問を務める高島屋宣伝部にて働く機会を頂きました。7年の在籍でしたがデザインのイロハから仕事への取り組み方や暮らし方のセンス等多くを学びました。この歳になってもデザイナーを続けていれるのは有り難い事です。

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2013年

3月

11日

Open New Doors

昨年の3月にスタートし1年が経ちました。人生3つ目の新たな扉を開き、新たな人たちと出会え、新たなプロジェクトとも出会えた事に感謝!2年目も焦らずにジックリと人との繋がりを大切に「前へ!」歩みます。この秋から来春へ向けてまた、新たな出会いの芽も息吹き始めています。2年目のデザインサポートもよろしくお願いします。

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2012年

10月

31日

ウイリアムモリスの心意気

明石市立文化博物館で開催されている「ウイリアムモリス展」を見てきました。

以前京都で開催されたさには無かったステンドグラスの作品が多く展示されています。

彼が活躍した年代は丁度近代工業が始まった頃でクラフトを新たな技術で商業化する

流れが出始めていた頃です。そんな中で新しい技術や材料の良いところは取り込みながらもそれにより製品の品質が悪くなるところはあくまでも従来手法にこだわり続けたとの事。織物の仕事を手伝い始めてあらためて作品を見直すと工業化、近代化を進めるあまり

忘れ去っている事も多く有るのではとの疑念が湧いてきます。今一度従来の良さの再発見もしながら新たな取り組みを目指すべき時期に来ている気がしました。

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2012年

9月

13日

ブランドは敷居の高さを決める事

ホテルや旅館はそれを利用されるお客様の質でホテルの格が自ずと決まってくるのですが

そのお客様が入りやすいか、入るのに躊躇するかを決めるのが「敷居の高さ」です。

最近では経済環境の厳しさからか敷居の高さが上がったり下がったりとブレを感じるところが多く見受けられますが、そんな中で毅然として高さの設定を維持しているところが

きちんとブランドを維持出来ています。

もちろん「敷居が高い」だけがブランドでは有りません。どの高さに設定するかです。

「敷居を低くし」多くの方に楽しんで頂ける様にするのも選択であり、戦略です。

30年以上前に海外旅行が普及し始めた頃にパリのルイヴィトンではいわゆる農協さん

には門を硬く閉じていました。階級社会がはっきりしているヨーロッパでは顧客が自らその「敷居の高さ」に合わせ利用する店を決めていたと思われますが日本人には通用しなかったからでしょう。そんなルイヴィトンも今や日本人から中国人へと対象が代わっているのでしょうが。

 

2012年

8月

30日

神戸市の食ブランドプロジェクトに参画

どの地域も地域ブランドが乱立気味ですが神戸市も例には漏れません。

そんな事も有り今回は一つは大学生を中心に神戸市の農水産物を若者の視点から

調べたり体験しながら新たな活用を考えるプロジェクトのアドバイザーとして参画する

事になりました。

もう一つは乱立気味のブランドを一度棚卸をしながらどの様に整理統合していき効果的な

ブランド浸透を測れるか、本格的な取り組みへ向けての事前調査の実施とそのまとめを

お手伝いすることに。ブログやこのサイトを通じて報告していきます。

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2012年

8月

03日

「点」の連続が「線」に

美術大学に入った頃にレタリングの基礎実習で描いたのを思い出す。当時はもちろんパソコンではなくペンにインクをつけて細かいストロークで点を繰り返す事で曲線や直線を自由に描く練習を

行うことでいろんな書体を描く基礎を学びました。

「人の思い」や「人の智慧」や「人の技」を繋いでいく事で目的に向けての線を描くのも同じ気がする。始めてお会いした時はそれぞれが「点」であっても何かの際に繋がるとそこに「線」が生まれる。SNSが盛んになり「点」を見つけたり、出会ったりする機会は増えているが安易な繋がりだけでは「線」にはならないと思う。それぞれの「点」の質が重要に。

2012年

7月

23日

「思い入れ」の連鎖が「類は友を呼ぶ」

「国産の麻で糸を紡ぎ生地を織る」この思いを実現するために麻への取り組み支援をスタートさせました。戦前は国内でも多くの麻も栽培され紡糸もされそして紡織もされていたのですが

満州に機械を移転したまま戦後となりやがて立ち消えていました。

でもいろいろ調べたりしている中で人との出会いが有り「麻」のもつ本質的な良さを理解され、なんとか暮らしの中でその良さを伝えていきたい、製品にしたい、そんな「麻への思い入れ」を強く持つ人たちと出会え、まさに「類は友を呼ぶ」事が出来ました。まだまだ入口にたった段階ですが熱い「思いい入れ」が連鎖していけば1年後には製品としてデビューしていることを夢見て支援続けます。

 

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2012年

7月

18日

地域ブランド、キャラクターも「過ぎたるは及ばざるがごとし」

インターネットで検索しても地域のブランドや地域のキャラクターが乱立気味なのが気になっていました。次から次へとブランド名やキャラクターを作った為に差別化どころか混乱をきたしている気がしています。そんな折に地元の市からブランド統一へ向けての調査と指針をまとめる依頼が入りました。以前ある大手文具メーカーのブランド整理と統合を手がけたことがあるのですが一旦は整理集約する中で本当に必要なものと欠けているものの発見もありました。

「過ぎたるは及ばざるがごとし」ならない様に気をつけねば。

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2012年

7月

06日

「作り手」「使い手」そして「繋ぎ手」

地域ブランドのお手伝いをしていると「作り手(生産者)」と「使い手(カスタマー)」を如何に繋げるか、そして「作り手」の熱き思いを如何に伝えるか。その役割を果たすのが「繋ぎ手」としてのブランドコミュニケーターの役割であることを実感しています。

特に販路の確保がやはり一番むつかしい課題に。いくら良い品があっても適切な相手に適切な場所や適切なシーンでの出逢いがないとなかなか次へ進みません。そんな適切をどう繋ぐかの際に

役立つのがやはり「人の繋がり」です。一人では何も出来なくても繋がっている人の背景には多くの素晴らしい繋がりがあるので心強い限りです。

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2012年

7月

01日

Face to FaceBookが大切

人の繋がりが大切ですがやはり人と人が直接会ってお互いの表情や仕草を見ながら

コミュニケーションすることが肝心。Facebookがきっかけで繋がったとしても一度会うと

さらにコミュニケーションの密度が違いすよね。確かに事前情報としてFaceboookを

通じてその人の考え方や行動様式を知ることが出来ているのでいきなり合うよりはスタート

ラインが違うのは確かですが。オフミが活発なのはまさに「Face to Face」+「Facebook」

の効用だからでしょうね。

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2012年

6月

20日

大は小を兼ね無い

最近は地場産業の支援が中心となって活動しているのですが久しぶりに神戸の大手企業を訪問してきました。デザイン部門が独立しグループ企業のデザイン全般を見ているそうですが内部だけでは対応が難しくなり外部協力先を探しているとのことで提案の機会を頂きました。

今まで経験してきた大手企業、中堅企業、老舗商店から地場産業まで話をしましたが一番興味を持って頂いたのが地場産業との取り組みの話でした。ブランドを立ち上げて作るだけでなく販路開拓から何から何まで支援する動きに対してでした。大手企業では分業化が進み専門分野も分業化となりかえって全てに関われる事が魅力的に映ったのかも知れませんね。

以前からも大手企業には小さい規模の会社や商店での取り組みのノウハウが意外と役に立ち興味も持っていただいたことが蘇りました。ただ、逆に地場産業の方と話をする時は極力大手企業での経験は話をしないようにしています。大手だから出来る!と言われてしまうと話が前に進まないので。「大は小を兼ね無いのです」

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2012年

6月

16日

専業の弊害が

播州織物も昔は農家の閑散期を利用しての織物でしたが、やがてガチャマン(ガッチャマンではありません。景気の良い時代を形容してガチャと織るだけで万札が入ってくることからそう呼ばれたそうです)の頃から高速機を導入し織物やその関連に専業し始めました。景気が良い時は良かったのですが景気の減速や中国パワーの台頭で廃業に追い込まれる方が加速度的に増えています。もし、昔のように農業と兼業で自らの技術をベースにこだわりの織物を続けていれば無理しない範囲で継続できてるのかも。まさに「専業の弊害」に。

現在麻を植えて実からオイルや茎から繊維を収穫しそれを活用する試みを「ASABAN」ブランドとして始めたのも農業と織物業両方の活性化をめざすからです。

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2012年

6月

12日

たかがブランドされどブランド

今日はお昼に所属する神戸東ロータリークラブにて「たかがブランドされどブランド」と題して卓話をすることになりました。自ら経営者として会社を率いいる方々ばかりなので本当は経営者自らが自分がつくり育て上げたブランドの実践でのお話をお聞きする方がはるかに楽しいのかとは思いますがブランドを支援してきた立場から話をさせて頂く事に。最近取り組んでいる地場産業ブランドも交えて話します。

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2012年

6月

11日

デザインで地域を元気に!

地域に根付く伝統産業の中には高い技術力持ちながらそれをどのように活かしたら良いのかで悩んでいる方もいます。そんな方々にデザインで力になれることがあればと会社を立ち上げました。共に考え、共に悩みながら前へすすみませんか。

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